多言語の中で暮らす

先日、京都で講演をする機会があって、その内容をつらつらと考えているときに思ったのだが、
私がこの十数年やってきたことは、 「多言語の自然習得をします!」 というような力の入ったものではなかった。

どちらかというと、日々の生活の中に多言語があった、というか、多言語が流れる中で暮らしてきた、と言った方がいいかもしれない。

そんな中で、がんばったわけでもないのに、初めて行ったイタリアでも、ことばに困ることはない自分になっていた。


そんなことを考えているうちに、「いつの間にか知らないうちに」自分の中にことばの基礎ができていく、そういう生活をしていたのだなぁと改めて気づかされた。


この、「いつの間にか知らないうちに」を大切にしたい。


そんなわけで、
今、家の中ではあちこちで多言語がBGMのように流れている。

リビングのCDデッキで。
洗面所では最近使っていなかったMDウォークマンにミニスピーカーをつないで。
台所ではiPodを専用スピーカーにセットして。

これがなかなか面白い。


もちろん今までだって多言語のCDは流れていたし、歩くときも電車の中でも、ジムでストレッチしているときもiPodでよく聞いていた。

でも、いろんな場所に音源があると(そんなに広い家ではないけど)、ふっと通りすがりに声がしてきて、フランスや台湾や香港やアメリカにワープしたみたいな気分になる。
ヒッポの誰かが言っていたフレーズが飛び込んでくると、その人を思い出す。


同居している人たちは迷惑してるかもしれないけど(笑)、ま、彼らにも「いつの間にか知らないうちに」多言語が染み込んでいくのだから、いいんじゃないだろうか。



多言語の中で暮らすというのは、語学の方法というよりも、日々の食事をバランス良く食べるように心がけるとか、そういうのに似ている。

1食食べたからといって、即座に効き目が見えるわけではないけど、1週間、1ヵ月も続ければなんとなく体調が整い、3年、5年と継続していくと明らかに違いが出る。
当たり前だけど、人間は食べた物によって身体ができている。
同じように、ことばも聞いたものでできている。


食べ物も数多くの種類を取ることで自然にバランスがとれるように、ことばも数多くの種類を聞いていたら、何かいいことがあるかもしれない。