カルチャーショックのすすめ

今までに、6回海外ホームステイに行ったことがあります。
韓国、ロシア、フランス、メキシコ、台湾、イタリア。

どの国も、旅行で足を踏み入れたこともなくて、毎回が初めての入国。
日本に帰る時には、また絶対に来たい! と思いつつも、ホームステイに行く機会があると、つい新しい国を選んでしまうんだよね。(苦笑)


何があるのだろう?
どんな人がいるのだろう?
どうやって暮らしているのだろう?


そして、私は本当にその中に入っていけるのだろうか?


そんなドキドキと不安が、
私を新しい土地に向かわせるのかな。


16年前の初めての韓国へのホームステイが、
私にとっての初めての海外でもありました。


飛行機に乗っている時間もわずかだし、
顔かたちもそんなに違わない人たちが住む国なのに、
ことばはわからない、字は読めない。(泣)


何より、その暮らしの中にどうやって入っていったらいいのかわからなくて、戸惑いまくり、言われるがままの1週間でした。
よくしてくれる韓国の家族の方々の気持ちに応えることもできず、自分の無力さにドン底まで落ちました。


後から考えたら、あれがいわゆるカルチャーショックというヤツだったのでしょう。


人生で、あんなにわけがわからないという経験は、
そうそうできるものではありません。


でもね、
絶望的にわからない辛さ
あの時に体験してて良かったなって最近思うんですよ。


青少年達が海外に1人でホームステイや留学に行って、
ホームシックになったり、壁にぶち当たったりする、その気持ちをわずかでも共感できるし、乗り越えていったときに、頑張ったんだねって心から思えるから。



次の時代をつくっていく人たちには、
ぜひ若いうちに、ことばも文化も違う世界に飛びこんで、
本当にわからないという経験をしてもらいたいですね。


そのときは、苦しいこともあるかもしれないし、何だったんだろうって思うかもしれないけど、身体の中に刻まれた「あれは何だったんだろう」という引っかかりが、いろんなことを考えるきっかけになるんじゃないかな。


今わからないことも、体験さえしておけば、あとからジワジワと効いてくるものだから、
世の親たちは「準備ができてから」なんて言って、子どもの可能性を閉じてしまってはいけないって思うんだよね。
2週間ずっと泣いていたって、何も体験しないよりずっといい。
そのときできなかったことが原動力になって、後になって実を結ぶことだってある。


私の韓国のお母さんは、その後若くして亡くなってしまったけれど、
彼女と抱き合って泣いたことを私は決して忘れないし、
あのホームステイが私にとっての世界への1歩だったと今も思っています。



わかったつもりになりそうになったら、
カルチャーショックを受けに、どこかに飛びこむのもいいかもしれませんね。