多言語という状態

毎日新聞社ビルのオーバルホールで開催されたヒッポファミリークラブの新春レクソロジーワークショップに参加した。

そこで私は、年末にあるメンバーが言っていたことばを思い出すことになる。


彼女は言った。
「多言語というのは、ひとつの状態だと思う。」


多言語という状態
単言語という状態
二言語という状態


どれが良いとか悪いとかいう問題ではなく
ただ、そういう状態に身をおき、そこで生きている、ということ。


多言語は、何もスペシャルなものではない。
(もちろん、1人1人の体験や出会いは、その人にとってかけがえのないものではあるが)


自然習得ということについても、
何が自然だ、不自然だ、と批判しているうちは、
自然習得を一種の方法と捉えている愚かさを露呈することになる。



主観的に大いに楽しみ、客観的に観察する

相反するこの二つを同時にしていくことが、求められている。