『生き延びるためのラカン』 斎藤環著

生き延びるためのラカン (木星叢書)

生き延びるためのラカン (木星叢書)

オタクやひきこもり問題に詳しいお医者さんである著者が、フランスの精神分析ラカンの思想をわかりやすく紹介しています。

オタク?ひきこもり?
精神分析

関係ないな〜 なんて敬遠しないで下さい。


「ことば」とは何か?
考える人には、ぜひ読んでいただきたい一冊です。


こころは言葉だけでできている。
そして言葉には元々意味などはなく
ひとまとまりの音にすぎない。
言葉は記号みたいに、直接何かを示すことはしない。
つまり、言葉はものの身代わりじゃない。

あらゆる言葉は、ほかのすべての言葉とのつながり、
ネットワークの中に位置づけられてはじめて成り立つ。
意味を決定づけるのは、その言葉じゃなくて、
言葉どうしの関係と、その背景にある「文脈」の作用だ。


「言葉」は「記号」ではなく、むしろ「システム」だというのです。

例えば記号。
記号同士は、何のつながりも関連性も持っていない。
言葉は「象徴界」というシステム全体として機能している。
単語が意味を持つのは、あくまでも他の語との関係性、すなわち文脈の中でしか可能にならない。
逆に、文脈さえわかっていれば、未知の言葉、つまり無意味な言葉であっても、何となく意味が見えてくる場合もある、わけです。

確かにね〜。
そうなんですよ。
文脈をどう読むか。
そしてこの本ではさらに、

シニフィアン(音)とシニフィエ(イメージ)の結びつきには、何の必然性もない。
と言い切っています。

「言葉」をシステム全体としての機能としてみる視点。
これは外国語学習には、あまり出てこないですよね。
というより、そういうふうに捉えると教えようがないのかもしれません。



ラカンには、現実界象徴界想像界という表現が出てきてとても難解なんですが、斎藤環氏はマトリックスやモンスターズインクの世界に例えて、わかりやすく説明してくれています。



さらに、私が興味深かったのは、ことばの「音」による結びつきの重要さの部分。


単語ひとつでは何も意味し得ないけれど、そのつながりは「発音」に縛られている。
でもそういった不自由さこそが、言葉に記号を越えた大きな自由と創造性をもたらす。


「音」による制約、というのは、確かにくり返し口に出しているうちに体感することができます。
シニフィアン(言語の音声部分)が織りなす複雑なシステム。
そのシステム内の音のつながりの制約。
それが、美しい秩序を生んでいるのではないでしょうか。



内容はとても深いのですが、読みやすく書かれているので、ぜひ一度手にとってみてください。