第6回 言語観の転換

ターケーホー! ワーシーCynthia.

前回は、音だけでなく、文字も輪郭(大波)から捉えている という話をしました。
さて、今回からはいよいよ人と人との関係性に焦点を当てていきます。うまくまとまるか、ちょっとドキドキだけど挑戦してみます!

今回のテーマは「言語観の転換」です。


hippoでは「人間が自然にことばを習得する(見つける)環境とは何だろう?」、っていうことを、いつも模索しながら「ことばと人間」についての壮大な実験と研究をしてるって私は考えてるのね。

まぁこう言うとカッコいいけど、やっているのは専門家じゃなくって素人の集団。
そしてもちろん先駆者はいない未開の地なわけですよ。

頼りになるのは、自分自身の感覚一人一人の体験の中にある事実だけ。でしょ?
でも、きっとそこに自然が答えてくれた真実があるんだよね。


私は疑り深いので、講演を聞いて成程と思ったものの、正直テープに入ってるだけのことばと週1回の活動で大人が話せるようになるとは信じられなかった。
だけど、自然習得のプロセスは納得がいくものだったから、どこまでいけるのか自分の身体で実験してみよう!っていう感じだったなぁ。

私がhippoの多言語活動をスタートした17年前っていうのは、ちょうど「ことばを歌う」ということが全国的に始まって間もなくだったらしい。(というのは、後から知ったことだけど)

ことば(外国語)を意味を考えずに、メロディとリズムで大まかから歌のように真似する なんてそれまでしたことがなかったよ、もちろん。
でも、やってみると気楽だし、楽しい。外国語を理解したり、覚えるのは難しくても、ただ真似するだけなら(それもちゃんと言えなくてもいい!!)、簡単だった。

特に韓国への初ホームステイ(入会8ヶ月)を決心してからは、韓国語を聞くのが面白くて、どんどん歌えるようになり、出発の頃にはソノコの物語の前半はかなり真似できたし、後半も大波でならって感じだった。
(今ではとてもあんなふうに毎週新しいところ歌えていかないけど 涙)


そうそう、ホームステイに行こうって思ったのは、ワークショップで見た人たちがどうも

ことばを歌う → ホームステイに行く → 話せる

という構図に見えたのね。
この ホームステイに行く っていうブラックボックスを通ると、話せるようになるらしいぞ。
それならば、ぜひともそのブラックボックスの中を自分自身の目で覗いてみなきゃ!ってことで決心したの。


で、韓国語、歌いましたね〜。
もうガンガン聞いて、歌って。

韓国人留学生に聞いてもらったら、
「ちょっとはっきりしないところもありますが、ほとんどわかります。きれいなソウルの発音ですね。」と言ってくれて、すっかり有頂天

音の準備はバッチリ!
だから向こうに行ったら、魔法のように韓国語がわかって話せるようになる!
って思ってたよ、何の疑いもなく。(なんてイタイケな私)


ところが そうはいかなかった。

行ってみたらホントにわからない
こんなにわからない世界があるのか ってくらいわからない。

もちろん、現地でみんながよく使ってたフレーズは覚えて自分も使ってたけど、ちょっとしたことさえ質問できない。

例えば「明日どこに行くの?」っていうようなこと。

「明日は、テープのドナの手紙にあったなぁ。」「どこに行くは、カバジンにあるよなぁ。」って思うんだけど、探してるうちにタイミングをはずしちゃうし、全然ダメ。

あんなに聞いて、歌ってた韓国語は一体どうなってるの〜!
って叫びたいくらいだった。

大体、物語のセリフとピッタリの場面なんてそうそうないしね。


ホスト家族とは何とか心の交流はできたけど、韓国語の方はさっぱりで、ブラックボックスを通って出てきた私は「自分にはやっぱり語学の才能はないんだな」って思ってた。


ところがそれから数ヵ月後、私は突然、韓国語が話せるようになってしまった
日本にいながら勝手に。


ある日私は、「もっといろんなhippoに行って、いろんな人に出会おう!」と決心し、せっかく多言語やってるんだし日本語以外のことばで自己紹介しようと思って、ちょっと韓国語で言えるか考えてみたのね。

頭の中で言えたのは、挨拶と名前など3行か4行くらい。
他にもいくつか韓国語のフレーズは知ってるけど、自己紹介に使えそうなのはこんなもの。

それで、「hippoに入って楽しいことは何かな?」って考えたら、
ふっと「チングド マーニ センギョッソヨ」っていう韓国語のフレーズが頭に浮かんできたの。

 えっ? 何?コレ?

そのフレーズは、出てくるまで自分でも知らなかったんだけど、「お友だちもたくさんできました」っていう日本語のセリフに対応しているところだって瞬間的にわかった。

ホントにびっくりしたね〜。
日本語で考えたら、韓国語で自分が答えちゃったわけ。
ありえないでしょ?


しかも、自分がはっきり歌えてた場面じゃないんだよ。
他のメンバーの人が歌ってたのを、私は大波でハミングしてただけ。
だから、まさか自分が覚えてるとは思わなかった。


そのときに思った。

もしかしてことばというのは、私が考えてるようなものじゃないのかも って。

ことばを話すというのは、知っている単語を構文や文法にしたがって組み立てていくものだって考えてたけど、もしかしたら全然違うんじゃないかって。
何か根本的にとらえ方が間違っていたのかもしれない


その日をさかいに、私は韓国語が話せるようになった。

もちろん、いきなり流暢に話せたわけじゃない。
まるで小さな子どもが、「ワンワンいるね」「公園行ったよ」と少しずつ話し始めるようにね。
でも確かな手ごたえがあった。
初めて会う韓国の人にも、ホームステイの体験を何とか話し、わからないところは相手から韓国語の表現をもらいながら伝えることもできた。


今思えば、韓国でホームステイをしたとき、私の身体には十分に韓国語の音も入っていたし、口は韓国語を真似できて話せる準備もできていた。
周りには韓国人の家族がいて、ちゃんと受け止めて理解してくれる人もいた。
でも私は話せる実感なんて、これっぽっちも持てなかったんだ。

なぜだろう。

あのとき私は「韓国語」を話そうとしていたんだと思う。
日本語で考えたことを、韓国語ではどう言えばいいのか探していた。
「知識」で理解し、話そうとしていた
だから苦しかったんだよね。


ことばというものに対する見方が変わったとき、押し込められていた私の中の韓国語の音たちが解放され、自由を取り戻し、
「外国語」から「人に向かって話すことば」
になっていったのだろう。



さて次回は、「話せるから通じるの?」
がテーマです。

お楽しみに! 再見!