韓国小学校編
お父さんの転勤で、韓国で2年間を過ごした小学生のNちゃんの話を聞いた。
最近は日本企業の海外進出で、アジアで生活をすることになる家族も増えてきているようだが、大体において大人は、自分の語学力は心配しても、子どもに関しては「何とかなるだろう」と思ってしまう。
その国の幼稚園や、小学校に入れば、最初はちょっと大変かもしれないけれど、しばらくすれば友だちもできて現地のことばを話せるようになるだろう。
一体何を根拠に?
それは・・・
数々の事実がそう物語っているから
なのでしょう、きっと。
かくしてNちゃんは、大方の予想通り、3〜4ヶ月もすると友だちと会話もできて、ハングルも読めるようになったそうだ。
初日は全く何がなんだかわからなかったというのだから、たいしたものだ。
子どもだから、というのは答えにはならない。
Nちゃんは、ただボーっと無機質に韓国語のシャワーを浴びていたのではない。
全くわからない新しい世界の中で、そこの人とつながろうと精一杯の自分で生きてきた。
そして周りにも、新しく入ってきたNちゃんとつながろうと心を寄せてきてくれた韓国の子ども達がいた。
新しい世界を丸ごと受入れながら、全力で生きる。
そこには嫌なことだって山ほどあっただろう。
でもそれと同じくらい嬉しい驚きもあったはずだ。
自然習得というのは、決して受身ではない。
Nちゃんの話を聞きながら、改めてそのことを考えた。