北京的妹妹


北京の妹妹から小包が届いた。
北京奥運会(オリンピック)のマスコット「福娃(フーアー)」のぬいぐるみ、ストラップと新年のカードが入っていた。

福娃貝貝(ベイベイ)は魚、福娃晶晶(ジンジン)はパンダ、福娃歓歓(フアンフアン)は聖火、福娃迎迎(インイン)はチベットカモシカ、そして福娃妮妮(ニーニー)はツバメ、をモチーフにしているらしい。5人の名前を並べると、「ベイ ジン フアン イン ニー Bei Jing Huan Ying Ni (北京歓迎你)となるそうだ。


妹妹の名は毛毛(もーもー)ちゃん。
もちろんニックネーム。
12年位前に、御堂筋パレードに参加する中国内蒙古自治区フフホト市の歌舞団員として来日し、我が家に2泊3日ホームステイをした。

内モンゴルの人が来る!とモンゴル語の挨拶を覚えていたら、モモちゃんは漢民族モンゴル語はもちろん英語も全くわからず中国語(北京語)だけだった。
驚異的な身体の柔らかさで、夜ストレッチをしているとき床の上でエビ反りになって、両足で頭の上の茶碗をつかむという信じられないような技を見せてくれた。

当時の私は中国語なんて全くわからないと思っていたけれど、モモちゃんとは不思議と話せた。
一緒に買物に行ったり、水餃子を作ったりするなかで、少しずつ中国語がわかっていった。


「好不好」「有没有」「要不要」 みたいな聞き方が面白くて、中国人の頭の中ってグレーゾーンは少ないのかなあって思ったり。
「シャンティエン」という音に「商店」、「イーフー」という音に「衣服」、「シャンロウ」という音に「上楼」という漢字が浮かんできて意味もすぐにわかった。

「大阪人快走、中国人慢慢的」なんて言って一緒に笑いあったりもした。


夜に来て朝早くの出発だったから、丸2日くらいしか一緒にはいられなかったけれど、私達は「姐妹」と言って、私のことを「姐姐(ジェジェ)」と呼んでくれた。

帰る前に書いてくれた感想文は中国語でギッシリ。
読んでもわからない私に、モモちゃんが一言一言声に出しながら説明してくれた。
その説明ももちろん中国語だったのだが、モモちゃんが読んでくれるとなぜか内容はわかった。


その後何度か手紙のやり取りがあり、北京の舞踊学校の先生になったと聞いた。

今はもう結婚して、赤ちゃんも生まれて仕事は休んでいるらしい。
私に「今も中国武術の練習はしているの?」と聞いてきた。


あの頃全く読めなかった中国語が、いつの間にか手紙の内容くらいは大体で読めるようになっている。
不思議なことだ。
何よりモモちゃんの書いた手紙が、そのまま読めるのが嬉しい。


今回はメールアドレスも送ってきてくれたけど、手書きはともかくキーボードで中国語を打つのは厳しいなあ。
ピンイン知らないし、日本語の漢字じゃコードが違うからダメだろうし、英語はわからないだろうしなぁ・・・

気合入れて、また中国語ガンガン聞くか。
いや、それでピンインはわかるようになるわけ?
(と、自分でつっこむ)

とりあえず写真でも送ろうか。