第9回 全人生で理解し、話す
Bonjour! Cynthiaです。
前回は、「ことばで世界を見つけていく」ということについてお話しました。
ことばを見つけるたびに、見える世界も次第にクッキリしていく、だったよね。
今回のテーマは、全人生で理解し、話す。
今から10年近く前に、あこがれのフランスへホームステイに行ったの。
私は、子どもの頃からどちらかといえばアメリカよりもヨーロッパ派(どういう分類?)で、中高生時代はサガンやカミュ、ジャン・コクトーなんかを読んでるような文学少女だった。
そんなわけで大学で外国語を選択するときにも、
「英語はダメだったけどフランス語なら何とかなるかもしれない」
と思ってフランス語を選んだんだけど(私が行った大学は芸術系の学校だったので、外国語は1つだけでよかったから、これで英語とオサラバできる!って喜んでた)、フランス語なんてもっとわからない。
クラスは私を筆頭にやる気のない学生ばかりで、先生もフランス語を教えるっていうより、自分の留学時代の自慢話をして終わっているような感じだったんだ。
そんなわけで、自己紹介すらも覚えられず、唯一記憶に残ったのは、
「フランス語って冠詞が山ほどあったり、動詞もとんでもなくいろいろ変化してややこしい!絶対覚えられない!!」
という印象だけ。
フランス語はあきらめたけれど、まぁ、ことばができなくてもフランス好きには支障なく、相変わらずフランス映画を見たりはしていたし、フランス人の友だち(日本語ペラペラ)も作ったりしていた。
だからフランスへのホームステイは、いつかは絶対に行きたかったところ。
しかも夏のバカンスシーズンじゃない?
フロマージュ食べて、ワインを飲んで、美味しくて幸せな1週間を過ごすんだ♪
と行く前から夢はふくらみっぱなし。
ヒッポの物語CDもいっぱい聞いて、歌って、今までにホームステイに行った人の写真を見せてもらいながら話を聞いて、楽しみに準備した。
ホストはパパのダニエルとマモンのアン、子ども達は独立したり留学に行っていていなくって、そこに私ともう1人ヒッポメンバーのシンシンっていう男の人がホームステイさせてもらった。
私はグループフェロウということだったので(家族交流だけどいろいろ現地コーディネータへの連絡等あって)駅についてすぐ、迎えに来てくれていたホスト家族やコーディネータの方たちと一緒にカフェで、一週間の打ち合せをした。
初めてのヨーロッパ、なのにいきなりフランス語で打ち合せ?!
とりあえずスケジュールを確認して、日本から来ているみんなに知らせなきゃならない。「ラ メール」とか「アラメゾ〜ン」「アベックファミーユ」とかいう知ってる音を拾って、「あっ、この日は海に行くんだ」「この日は各家庭でってことね」とほとんど想像力の世界でやりとりしていた。
知らない単語は、向こうに想像してもらう。
例えば「あさってはどうするの?」と聞きたいときは、「ドマン ドマン?(明日 明日?)」というぐあいに。
家についてからもそんな調子だったけど、後から聞くと、シンシンは何と私のことをフランス語ペラペラだと思ってたらしい。
なぜって、ダニエルやアンが話すフランス語に「ウィ、ウィ」と最初から何でもわかってる様子で答えていたから。
私は別にそんなにハッキリわかってたわけじゃないけど、わからない顔をすると相手の話が止まっちゃうから、適当に相槌を打ってたんだ。
だってたくさんしゃべってもらった方が、ヒントになりそうなことばが見つかる確率が高くなるでしょ?(笑)
ところでフランスの人って、私が想像していたよりはるかにオシャベリ。
そしてユーモアというかウィットというか気の利いたジョークをとばす。
友だちを呼んではオシャベリしまくっているフランス人たちの中にいて、ただそれをニコニコ聞いてるのも楽しかったけど、あるときフッと思ったの。
このままじゃ、私たちがここに存在してる意味がないじゃん!って。
でもフランス語が堪能なわけでもないから、向こうの話題に合わせて入っていくのは難しいよね。だから、とにかく自分達に関係のある話題、わかる話をしていった。
一緒に行ったところ、やったことの話をしたのはもちろんだけど、それ以外にもシンシンは高校の数学の先生で、外車が大好きだったから、車に乗っているときも外車(私たちから見たら走ってる車全部外車だったんだけどね)が通ると、その車の名前を言うわけ。
そして私は映画、文学、芸術系担当。
分野の違う私たちだったから、話題も2倍になって正直助かったよ。
でね、そういう話をするとき、持っているフランス語だけで話すんじゃないんだなぁって思った。
もちろん日常生活の中で、ヒッポの物語CDに出てくるフレーズはいっぱい見つかっていくし、今までフランスに行ってきた人からもらったことばもどんどん使っていたけど、それだけで話すんじゃないわけ。
(考えてみれば当たり前なんだけどね。だってココはヒッポのCD用っていう記憶の場所があるわけじゃないんだもの。)
例えば、ある日河下りの船に乗って、そこから見る風景が印象派の絵画のように美しかったのね。
で、それを言いたい!
でも「印象派」なんていうフランス語は知らないじゃない?
そんなときどうするか?
人間って面白いよね。
高校時代の美術の教科書が頭の中に浮かんできた。
で、そこに書いてあった印象派の画家の名前を羅列してみたわけ。
そしたらアンが「アンプレッシオン〜」みたいな感じで、英語のインプレッションに似たことばを言ったの。
「それそれ!きっとそれに違いない、私が言いたかったのは!」
と嬉しくなった。
またある日のこと、出かけて家に帰ると、パパのダニエルがエプロンに頬かむり姿で箒を持って出迎えてくれて
「Je suis 女中!(私は女中)」
って言ったのね。
もちろん冗談で、自分はみんなが遊んでる間掃除してましたっていうフリをしてたんだけど、「女中」って日本では今はあんまり聞かない言い方だよね。
でもふと、そういえばジャン・ジュネの戯曲に『女中たち』っていうのがあったなって思い出してそれを言うと、今度は向こうがビックリ。
ジャン・ジュネなんてフランスでは図書館に置いてないようないかがわしい(?)作家らしい。そこからその話題で盛り上がった。
他にも、カレー海峡の断崖絶壁に観光に行ったとき、14歳の男の子がダニエルを突き落とすフリをして、アンが何か言ったのに対して、お札を数えるフリをしながら答えてたの。
きっとアンが「突き落として」って冗談で言ったのに、「いくらくれる?」って返してるんだなってわかった。
これって別にフランス語でわかったわけじゃなくって、そういう冗談の応酬パターンみたいのが私の中にあって想像ついたんだよね。(さすが吉本を見てそだっただけはある?)
フランスでは、こんなふうにいつも冗談を言い合っている感じだった。
もちろんワインもいっぱい飲んだし、フロマージュもトレボン!だったし、信じられないことにフランス語だけで、夢のように素敵な1週間のホームステイを過ごすことができた。
今、フランス語だけでって言ったけど、それは英語や日本語を使わずにっていう意味ね。
表面に出ていた音はフランス語だったけど、私は、なんていうのか、それまでの全人生の体験と記憶で理解し、伝えようとしていた気がする。
その中には、いっぱい聞いて歌っていたフランス語はもちろんあるけれど、そのフランス語は私の中にとけ込んで、他の記憶とごっちゃになって、出てくるときには丸ごとの「私」という人間から出てきたものだった。
ことばは、私とは決して切り離せないものだったんだ。