コアを鍛える

多言語をやっていると、不思議なことがいろいろ起こる。

久しぶりに聞く言語が、以前より聞き取れたり、わかるようになっている、という現象もそのうちの一つだ。

学習した外国語だと、こうはいかない。

しばらくほったらかしにしておいたら、どんどん忘れてしまうというのが関の山。


私は、言語習得というのは、学習のような「頭脳を使う」というより、もっとフィジカルな要素が大きい気がしている。

自然に身についたことばは、何年たっても消えない。
泳ぎ方や自転車の乗り方を忘れないのに似ている。


しかしながら、ほうっておいたものが、以前よりできるようになっているというのは何故だろう。

ヒッポファミリークラブでは、それをよく「多言語のフラワーモデル」というもので説明している。

それぞれの言語の表面的な違いとは別に、すべての言語の普遍的構造というものがあって、それが網の目が細かくなるように密になっていくのではないか、という仮説である。
言語のコア(核)の部分である。



コアといえば、アスリートの世界ではパフォーマンスを上げるために以前からコア(体幹部)を鍛えることの重要性は言われていたし、最近ではダイエット向けのDVDにもコアをテーマにしたものがある。

そのコアを鍛えたり、あるいは上手く使えるようにするのに、何が効果的か? となったときに、私の場合は、「いろいろやること」じゃないかと感じている。


私のやっているカンフーの演武には、柔軟性やバランスや筋力、ジャンプ力、中心軸の感覚などが必要なのだが、ひたすらにカンフーの練習だけをしていても行き詰ってくる。
子どもはそれでも結構OKなのだが、私のように大人になってから始めた場合は、ストレッチをしていてもなかなか伸びなくて限界を感じたり、うまくバランスが取れなかったり、中心軸がぶれてきれいに回転できなかったりする。

そんな時、ピラティスやヨガや太極拳をやったことで、柔軟性がグンとアップしたり、バランスを取るコツがわかったり、身体の使い方が見えてきて、カンフーが上手くできるようになっていった。


特に肩甲骨や股関節の使い方、骨盤の向きをどうするか、背骨をどう立てるか、表現は違うけれど言ってることは同じだったりするのだ。
そうすると、
「な〜んだ、あっちで言ってたのは、こういう風に身体を使うってことだったんだ」とわかる。

あるいは、頭ではさっぱりわかっていなくても、身体の方がわかっていて、以前はできなかった動きが急にきれいにできるようになっていたり、ということもある。


まぁ、こういうのは、実際に体感した人じゃないとわかってもらえないかもしれないけれど、個人的には、この「いろいろやってコアが鍛えられる(というか、使い方がわかる)」感覚が、多言語をしていることで言語のコアができていく感覚と、非常に似通っている気がしてならない。


身体の使い方がわかる、というのは、別の言い方をすれば、身体をより自然で楽な状態にもっていけるということだ。
もちろん健康にもつながる。


多言語も、やっぱり人間にとっての自然な状態なんじゃないかと思う。
健康につながるかどうかはわからないけどね。