イタリア・フィナーレリグレの暮らし

北イタリア・リグリア州フィナーレリグレという町に留学していた高校生Y君の話を聞いた。


帰国した翌日に会った時の話はコチラ↓
http://d.hatena.ne.jp/cynthia2z/20090618

2ヵ月余りが経ち、日本語もスムーズに話せるようになっていた(笑)


フィナレは田舎町ということもあって、ゆったりとした時間の流れだったという。


学校は8時半から12時半まで。
昼食は家に帰って家族と。
午後をサッカーのクラブチームや友だちと遊んだりして過ごして、夕食もまた家族そろって。


そして家族みんながよくしゃべる。
今日あったこと、学校のこと、仕事のこと、etc
みんながしゃべるから、自分もしゃべらないと!という気持ちになる。
確かに、留学前はそんなにおしゃべりなタイプではなかったY君だが、最近はホントによくしゃべる。
そうやってイタリアで、家族や友だちの中に溶け込もうと頑張っていたんだろうなと思う。


そして、小さな町なので、みんなが知りあいのようなものだったという。


そうなんだよなぁ。
私も同じ町に2年前にホームステイしたとき、町をホストと歩いていると、会う人会う人声をかけられるし、そこらじゅうに知り合いのお店があった。
そして知り合いに会うたびに立ち話。
なかなか目的地にたどりつけなかった。


イタリアで1年間受け入れてもらうというのは大変で、彼も3軒のホストファミリーの家に行った。
フィナレのような田舎では仕事がなかなかなくて、私のホストも仕事を4つ掛けもちしながら生活していたほど。
そんな中で高校生を長期に受け入れるのは、経済的に厳しいものがあるのだろう。


ホストチェンジは彼にとっては辛いものだっただろうし、特に2度目の時はフィナレに残るか別の都市へ移るかも、自分自身で決めなければならなかった。
高校1年生で、残りの留学生活の、リスクも責任も全部自分で負う決断をしてきたのだ。

そしてフィナレに残る決意をして(またホストチェンジというリスクもあったのだが)、結果、学校も変わらずその家で最後まで過ごすことができた。


振り返ってみれば、この9ヵ月半は短かった。
と彼は言う。

けれど、本当に濃い時間だった。
考える量も半端ではなかった。
考えることで成長できたし、イタリア人のいい面もいっぱいもらったと思う。

忘れられない貴重な時間だ。



Y君の話を聞きながら、
私はフィナレの海や山、町の様子を思い出していた。

あの小さな町で、過ごした時間。
海沿いの道からみた、水平線の上に浮かぶ満月。
家の壁のある小さなマリア像。
中世のお城。
どこかしこにある教会。
コンビニもファストフードもなく、軽食をとるのもガムを買うのもバールで。

歴史を守り、土地を愛し、家族を大切にする人たち。


私はフィナーレリグレの夏の顔しか知らない。
あの土地の季節を味わってきたY君の話を、またゆっくりと聞きたいと思った。





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