第2回 ことばの波

Bonjour! Cynthiaです。
前回は、意味ってなんだろって考えてみました。
訳すことばのない日本語はどうやって意味をつかんでいるんだろう?というところから、音とイメージ(風景)の関連性が少し見えてきたかなって思ってる。

さて今回は、ことばの波がテーマ。みんながよく「大波で歌う」とか言ってるあの「波」のことです。


多言語のCDをランダムに流してると、なんとなく「今、○○語だな」とか、「今のは△△語だ」ってわかってくるよね。
それってみんなに起こることだけど、不思議だと思わない?

一個一個の単語が聞き取れなくても、そのことばの持つ独特のリズムメロディを全体としてつかんで、判別してる。
この「全体の雰囲気」って数値化するのはなかなか難しいから、コンピューターに判別させようとしたら、きっと膨大な情報量が必要になるはず。

人間の脳ってホントにエライ!

で、その独特なメロディやリズムをhippoでは「ことばの波」って呼んでるんだけど、なかなか上手い言い方だと思う。

イントネーションっていうとそのフレーズに限定されちゃうけど、「ことばの波」っていうのはもっと全体的な雰囲気のようなものかな。
中国語の波、フランス語の波、スペイン語の波、ドイツ語の波。振幅が大きいとか、単調とか、速いとか、ブツブツ切れてるとかそれぞれに印象が違う。

物語CDのフレーズを真似しようとしたとき、フレーズの最初から一字一句逃さずに言おうとするとスルリと逃げられちゃうけど、そのことばを「音の波」って考えてそこに乗っていくとか、波の形をイメージしてその輪郭をとらえようとすると、結構スピードについていける。(気がする? 笑)
そして、その波に乗ってこそ見えて(聞こえて?)くるものがあるんですよ。


ヒンディ語のCDが届いて一週間くらいたったある日のこと。
車の中ではFM CoCoLoという多言語ラジオ番組が流れていました。
ちょうどヒンディ語の番組の時間で、インド人のパーソナリティの人たちがヒンディ語でなにやら話していたんだけど、いつもは全く理解できず、最後に電話番号か郵便番号を言うところで「パンチパンチノウ」という数字だけが聞き取れていたんだけど、その日は違ってた。
アメリカ」とか「イラク」とか、他にも英語っぽい単語がいくつか聞こえて「湾岸戦争の話題なんだ」って内容がわかったんだよね。

ヒンディ語のCDを聞き始めて一週間。
覚えた単語は何もなかったけれど、ヒンディ語の「波」のパターンが身体に少し入ってきたことで、その「波」の上に浮かんでいる「粒」(国名や英語の単語のような知っているもの)が聞こえ始めたみたい。

そういえばソノコのCDを聞いてみると、ヒンディ語には英語の単語がいっぱい入ってるんだよね。(ジュニアハイスクールとかチャーチとか)
でも、その波に乗ることができなかったときには、知っているはずの英単語も見つけられなかった。
英語を勉強してたとき、単語も文法も知ってるはずなのに簡単なことすら聞き取れなかったのは、この「波」に乗れてなかったのかなぁ。

海でイメージしても、波の下にいる(海の中ってこと)時や、波にのまれてしまってる時は、海面に何が浮かんでるのかわからないけど、波に乗って自分も浮かんでるときは、周りに浮かぶものもよく見えるよね。
だからことばを聞くときも、「単語、単語」ってつかまえようとするより、力を抜いて自分が波に乗っちゃうと自然に知っている音が耳にはいってくるのかもしれません。

ここでは力を抜くっていうのがポイントだと私は感じてます。だって水の中でも、ガチガチに力を入れてたら沈んじゃうでしょ?
リラックスしてことばの波にからだを預けたときに、新しい世界が見えちゃうのかもしれません。

じゃ次は「大波で歌う」っていうのを考えてみたいと思います。

私はhippo(google:hippo)に入会した頃、フランス人の友達がいたこともあってフランス語が大好きで、このことばが話せるようになりたいなぁって思ってました。
で、CD(当時はテープ)もよく聞いていて、空港のシーンとか歌ってたの。

そしたらある日、私のフランス語を聞いたどこかのフェロウの人が「すごくきれいな大波で歌うのね〜」と感想を言ってくれたんだけど、ショック
だって自分では大波で歌ってるつもりなんて全然なくって、かなりはっきり歌えてると思ってたから。
頭の中ではソノコのフランス語の場面がCDそのままにとぎれることなく流れてて、自分でもそんなふうに言えてると思ってたんです。でも実際は、頭の中に流れる音ほど口は動いていなかったようで・・・(苦笑)

同じ頃、よく行ってたファミリーに、フランス語をすごくくっきりハッキリ歌う独身男性のMさんっていう人がいたんだけど、彼の歌うフランス語は私にはハッキリすぎてどうもCDのフランス語とは違う気がしてた。

彼はたしか大学でフランス語を専攻してた人だったから、
「この人のフランス語は、フランス人のフランス語とは違うなぁ。やっぱり勉強したからかなぁ。フランス人はあんなにハッキリしゃべらないもん。」
って思ってたんだよね。

でもそれからしばらくたって、CDのフランス語がなんだか違って細かい音まで聞こえるようになってきたときに、あれって思った。
フランス人もハッキリしゃべってるよ。ソノコのフランス語はMさんが歌ってたのと同じじゃん。そうなんです。私の耳が、はっきり聞こえてなかっただけなんです。

Mさん、今まで疑っていてごめんなさ〜い!!
とすると、「きれいな大波でうたうのね〜」と言ってもらったときの私のフランス語は、自分では聞こえたとおりだったけど、やっぱり大波だったのか?!

がーーーーーん! ばぁーーー! バース? スニッフ・・・・

衝撃の事実! でした。

が・・・ まてよ。もしかして・・・
赤ちゃんがはっきりしゃべれないのは、まだ口が未発達で舌もよく回らないからって思ってたけど、もしかしたら耳のほうだって大まかに聞こえていて、そのとおりに真似しているのかも?

で、だんだんと細かい音まで聞こえるようになって、それから口の方も細かい音まで言えるようになっていってるんじゃないだろうか?
それでも赤ちゃんは何の不満も不自由もなく、いつも「今」聞こえる音を丸ごと取り込んで、「今」言える音をそのまま発している。

そうなんだ! 私も「そのとき」に聞こえるフランス語を丸ごとまねして歌っていただけだった。
ただ聞いたり歌ったりを繰り返し、フランスにホームステイに行った人の話を聞いてイメージをふくらませているうちに、自然に耳はもっといろんな音を聞き分けられるようになっていて、次第に口もフランス語らしい音を出せるようになっていたんだ。

な〜んだ。
ショック受けたり、疑ったり、落ち込んだり忙しかったけど、自然に起きてくることばの習得のプロセスが、自分の中に起きてただけだったんだ

講演会でも確か言ってたよね。大波から切れ込んでいく、とか、聞こえるようになってから言えるとか。
でも知識として持っているのと、自分の中に起こった事実ってぜ〜んぜん違う。
何が違うって感動が違うんです!

大げさに言うなら「お〜私もやっぱり『自然』の一部だったんだ!」って感じ?

ことばの自然習得は赤ちゃんだけに起きることじゃなかった。
インド人だけの特権じゃなかった。
こんなCDとファミリーっていう作られた狭い環境の中で、しかも大人の私にも起きるんだと思うと、自然の力とか人間が生まれつき持っている能力のすごさとかに素直に感動してしまうのです。

何ていうの?ペットボトルのお茶にオマケでついてたラディッシュの種を植えたら、ちゃんと芽が出てラディッシュができた!みたいな?

疑いながらもやってみる! それで何が起こるか?
Cynthiaの実験はまだまだ続きます。

   では、次回もお楽しみに!再見!

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