第11回 音のもつ雰囲気
レイホー!ホーモーア?
久々の研究レポートです。みなさん、お元気でしたか?
このレポートのシリーズ第1回 ここで話せるようになる?では、音と風景の関係を書きました。音が風景(映像)を運んできたときに「あっわかった」って思えた話です。
さて、今日はそこからさらに進んで(?)、音のもつ「雰囲気」がテーマ。
我が家では今、家のあちこちで多言語の物語CDが流れていて、通りすがりに聞こえてくる音なんかは、もうどの場面か何語かすらもよくわからなかったりするんだけど、それでも時々、ポンっとフレーズが耳に飛び込んできたりするのね。
こないだも、ふっと「コモエスタバ?」って言ってる声が聞こえてきた。
スペイン語で、「コモエスタス?」とか「コモエスタン?」っていうのは、よく使うけど、「コモエスタバ?」っていう言い方は、意識したのは初めてだった。
「コモエスタバ? へぇ〜そんな言い方するんだ〜。あ〜、でも、確かにね。」
と妙に納得。
初めてだったけど、聞いた瞬間に雰囲気の違いがわかってしまったの。
文法用語で、この「エスタバ」は○○形と言ってしまえばそれまでだけど、そういう回りくどいわかり方じゃなくって、「エスタバ」がどうとかよりも、私の中に「〜〜バ」っていう音のもつ雰囲気(ムード)のようなものが感覚的にあったわけ。
そういえば、hippoに入って多言語を始めたころ、韓国語で「カジャ!」って言いながら皆が人差し指を前に出していて、「カジャ」っていう音と、そういう風景がセットになってたんだけど、そのうちに「カジャ」じゃない「ノリハジャ」とかいろんな「〜〜ジャ」が聞こえだして、やっぱり「〜〜ジャ」っていう音のもつ雰囲気が身体に入っていった。
スペイン語の「コメモス」「アブラモス」とかの「モス」系や、中国語の「ツォバ」「チーバ」の「バ」系、他にもいろいろあるけど、風景というより、雰囲気(ムード)や方向性(ベクトル)が音とセットになっている。
最近、そういう音がよく聞こえる。
そうすると、単語自体を知らなくて意味はわからなくても、状況がなんとなくわかる。
みんなに向かって言ってるんだな、とか、お願いしてるんだな、とか、もう終わった話なんだ、とか、これからのことか、とか。
そういえば、以前、YearLongプログラムという高校生交換留学プログラムでフランスに行ったA君に、フランス語がどういうふうにわかっていったかインタビューをしたときのこと。
「つなぎのことば(接続詞)が聞こえてくると、その後に続く内容が大まかに想像できるんですよ。」と彼は言っていた。
「例えば、メって言った後は、反対の内容がくるってわかるし、パスクという音がくると、今から理由をいうんだなってわかって、その範囲で想像ができる。」
なるほど〜!わかるわかる!
範囲が狭まると想像しやすいよね〜。
反対にこっちが話すときも、その音を言うことで、相手がそこに続く話の雰囲気を想像してくれる。
私もイタリアで「セボイ」って音を見つけて自分も使ったとき、柔らかい感じで相手に言っていけるのが嬉しかった。それなしでも意味は通じるけど、頭にそれをつけた方が、私の気持ちに合ってる感じだったんだ。
ちょうど同じ話を、こないだフランスに行ったNさんもしてた。
メルシーパーティーの時、日本のお菓子に手をつけようとしないフランスの人たちに、「シチュブ」って言いながら配って回ったんだって。
習ってしまえば、たった1つの接続詞だったり、決まり文句だったり、動詞の変化形だったりするんだけど、自然に見つけたときは、その音のもつ全体の雰囲気が感覚として自分の身体に入っているから、形の変わった似たものも一瞬にして嗅ぎつけられる。
すごいよね、人間の感覚って。
こんなことを考えていたら、ずっと昔の出来事で、謎だったことが解明した。
うちの下の子が、まだホントに小さい頃。6つ年上の姉に太刀打ちできなくて、よく腹を立てていた。身体の大きさなんて全然違うのに、自分は姉と同等だと思ってるのだ。でも、やっぱりできないこともいろいろあるし、お姉ちゃんに都合よくやり込められたりして悔しかったのだろう。
そういうとき彼女がよくこう言っていた。
「Mちゃんのくせにっ! Mちゃんのくせに、こんなになっちゃったやん!(泣)」
ここでは正しくは「Mちゃんのせいで」というべきだ。
こんな言い方は、周りでは誰も使わないし、どうしてこんな間違い方をするのか不思議でしかたなかった。
余談だけれど、日本語を学習している外国人にとって、この「〜〜のせいで」と混乱しやすいのは、「〜〜のおかげで」なのだ。決して「〜〜のくせに」とは間違えない。
使い方でいうと、「せいで」と「おかげで」はとても似ている。
でも使うときの気分が全然違う。全く反対だ。
でも、そうやって考えると、「くせに」と「せいで」は、使うときの雰囲気がちょっと似ているかもしれない。
どちらもあんまりイイ気分じゃない。
姉妹喧嘩の最中に、よく言われてたのだろうか。(苦笑)
他にも、何か悪いことをして私が叱ると、必ず「だって」と言ってから言い訳をしていた。
「だってじゃありませんっ!」
なんて、よけいに母を怒らすことになるのにもかかわらず。
ホントに小さい頃だから、深い意味を考えずに、この雰囲気の中で使う音と思ってたのかもしれない。
当たり前だが、気がつけば、「Mちゃんのくせに」とは言わなくなっているし、叱られたとき「だって」というと不利になることも覚えたみたいだ。(笑)
具体的に描像(風景や映像)の描きにくいことばも、こんなふうに感覚として入ってきている。
こういう感覚というのは、紙の上の外国語学習では、なかなか身につけることは難しいんじゃないかな。